東京オリンピックが終わった
東京オリンピックが終わりました。
まだこの後にパラリンピックがありますが。
東京オリンピックに関しては、またの機会に書きたいと思います。
今回は、東京オリンピックと武漢肺炎のことで私なりに感じたことを書いてみたいと思います。
人は雰囲気に流されやすい
どちらも共通して感じたのは、人はとても雰囲気に流されやすいという事です。
何故そう思ったかというと、東京オリンピックが始まる前は開催前は反対の人が70%以上だと聞いていましたが、開催して日本人選手が活躍して、毎日金メダルの数が増えてきますと、だんだん雰囲気が変わってきました。
開催をしてよかったという人が増えてきました。
良かったという人は、60%以上だそうです。
応援する人が増える
たぶん開催されれば、オリンピックの競技にくぎ付けになる人が増えるだろうということは予想していました。
この国の人たちは、もともとスポーツが好きな人が多いと思います。
選手の活躍を見れば、応援をしたくなると思います。
それに日本の選手は、自国での開催に出ることができるかどうかは一生にあるかないか、というくらいめったにないことです。
選手たちの想い
しかも、今回の場合は中止を求める声が大きかったので、その中での開催ですから、選手としても精一杯のことはしたい、という想いはあったと思います。
選手たちも自分たちも頑張りたいとすら言えない雰囲気だったので、辛かったと思います。
この中止になるかもしれない、という事は海外の選手にとっても同じだったと思います。
だから海外の選手からも「日本でなければ開催できなかった、ありがとう」というような声が多数寄せられていたといいます。
そういう選手達の強い思いは、競技の中に絶対あらわれていたと思います。
そういう選手たちの思いがテレビ越しとはいえ、見ている人達にも伝わったのではないか、と思います。
情に訴える
きつい言い方をすれば、物事は情に訴えると伝わりやすいといいます。
マスコミはそれを利用して、武漢肺炎の感染の拡大を理由に五輪の中止を訴え、見事に成功をして中止賛成を70%台にしました。
その前は、武漢肺炎の恐怖を訴えて不安をあおりました。これも成功して、世の中の人たちにワクチンさえ受ければ大丈夫位に思わせることに成功をしました。
マスコミは世の中を操るのはチョロいもんだと過信をします。
国民の心の変化
でも、五輪は反対をしたものの、開催をすれば知らん顔はできません。
やっぱり選手の活躍は報道しなければなりません。
報道をすると、やっぱり視聴者は選手の活躍にくぎ付けです。
しかもほとんどが無観客とはいえ、自国での開催です。
国民は、やっぱり見て応援をします。
国民はだんだん開催してよかった、という気持ちに変わってきているのがわかります。
選手の活躍以外のところで五輪のケチをつける
そこで考えたのが、五輪での食事とか施設、進行などの内容にケチをつけること、外国人選手や外国人記者が、日本の良さをSNSで上げていても一切報じない、韓国の選手の選手村でのひどい垂れ幕はも報道していない、という事です。
新聞テレビしか見ていない人にはわからないことが沢山あっても、真実は伝わりません。
ワクチン接種
そのことと、武漢肺炎のワクチン接種ですが、以前にも書きましたが、私の周囲のほとんどの人が受けていました。
最初はワクチンに懐疑的だった人も、周囲の人がさっさと受けると、それに流されていきました。
しっかりと自分で情報を集めて、納得しているわけではないのです。
これに関しては、正直私はがっかりしました。
何のことはない、自分の周囲半径数百メートルで判断して、自分の行動は正しい、だからあなたもワクチン受けなければいけない、という圧力をかけてきます。
五輪の件も武漢肺炎のワクチンも、根底は同じで、周囲数百メートルで判断しています。
テレビ新聞も本人にとっては周囲数百メートルだと思っています。
そういう私もパソコンからの情報だから、半径数百メートルの情報でしたが……