成人の日になると思い出す
今年も成人式が無事終わりました。
以前にも書いたことがあるかもしれませんが、私の時も成人の日がありました。
私は、子供のころからへそ曲がりなところがありました。
成人式には、私の頃もほとんどの人たちが振袖を着ていました。
そんな成人式が嫌で、実家の母が振袖の着物を着なさいというのを聞かず、パンツスーツで式に参加をしました。
これは私がへそ曲がりなだけで、他の人にもそうすべきというわけではありません。
漠然と大人の言いなりの格好をすることが、自分ではとても嫌だったのです。
へそ曲がりな私
今思えば、漠然とした思いで着物を拒否をしていましたが、成人になったのなら親に頼らず自分の今ある姿で、成人を迎えたいという思いだったのだと思います。
でも反面、親が自分の子供が無事に成人を迎えたという感慨深い思いと、これから親から自立をするという節目で親からの祝いという意味で、振袖や羽織袴を着てもよかったのかもしれません。
親になった今は、そういう意味で親不孝をしたかなという思いもあります。
娘の成人式
あれから年月が過ぎて、私の娘はやっぱり私の娘でした。
娘が20歳を迎えるころに、振袖はどうする?と聞いたらいらないという即答でした。
娘は結局は、振袖ではない着物で式に出席をしました。
というのは、娘の友人がとても着物好きで、京都などに行って友人が素敵だと思う古い着物を集めていました。
娘は結局その友人の着物を借りて、他の同級生たちが華やかな着物を着ているのとは真逆で、友人と二人シンプルな着物で、髪形は当時美容師だった娘が担当をして、友人には着物を着つけてもらっての成人式でした。
親としては、これはこれで娘らしい成人式でよかったのではないかと思っています。
今度は振袖
その後の後日談があります。
娘の成人式の2年後に、当時働いていた美容室で、成人式用の見本の着物姿の写真を撮ることになりました。
その時に娘がモデルになることになりました。
当時の店長の奥さんの成人式の時に来た着物を借りて、撮影をすることになり、娘は今度は振袖を着て成人式の写真を撮りました。
今でも、その写真は家にあります。
大げさかもしれませんが、人生って面白いと思いました。