自前の野菜を食べれるようになりました。

野菜の味が気になりだしました

私は、食べることが大好きです。

私が家族の食事を作るようになってから、野菜が気になりだしました。

義母が家にいたころは、義母が野菜を育てていたので、それを使っていました。

途中から、夫も野菜を育て始めましたが。

どちらの野菜もそんなもんだと思っていたので、特に文句もなく食べていました。

 

 

 

 

買った野菜が味がしないのです

家にない野菜は買って食べていたのですが、買った野菜に味がしないことに気がついたのです。

子どもの頃、畑でとって服で拭いて食べたみずみずしく野菜の味がする野菜が食べたいと、思うようになったのです。

値段の高い野菜も買って食べたのですが、見た目の形色つやなどは最高にいいのに、全く味がしないのです。

トマトならトマトの味が、全くしないのです。

子どもの頃、当たり前だと思っていた野菜がこんなに恋しくなるとは、思いませんでした。

私の畑

悶々としたながらも、時は過ぎていきました。

義姉が、義母を連れて行きました。

義母がいないのなら、私が畑をやってもいいだろうと思い、夫に言いました。

夫は、自分が育てているのだから何も私がやらなくてもと思っていたよです。

しかも、私は無農薬で、化成肥料を使わず、草もできるだけ取らず、不耕起栽培で、微生物を使ってなどと、ややこしいことを言っているので、よけいウンとは言いたくなかったんだと思います。

が、何とか始めることでできました。

 

 

 

 

義母がいる間は畑ができないわけ

義母がいるとなぜ私のやり方でできないかというと、私のやり方だと義母からすれば、とってもみっともないので、してはいけないやり方なのです。

義母が家にいたときですら、自分の畑そっちのけで夫の畑の世話をしていたのです。

夫も義母のお節介には、ほとほと参っていました。

私が畑をやると言えば、自分の畑そっちのけで私の畑に来て、化学肥料はやるは農薬はかけるは草はむしるは、だと思います。

とても私の思い通りの野菜は作れるとは思いませんので、義母がいる間は無理だとあきらめていました。

 

 

私も畑をやり始めて10数年になりました。

私のやり方で育てると、土をベストの状態にするのに10年かかります。

今は、念願の野菜の味がする野菜をを毎日たっぷり食べることができるようになり、幸せです。

 

自虐史観からもう抜けましょうよ

私も日本はだめだと思っていました。

私も、自虐歴観ど真ん中だったので、日本はだめという記事はよく読みました。

本気にしていたので、日本てほんとにダメなんだと思い、それに書いてある通りにすれば日本人はよくなるのかな、と思っていました。

 

 

 

日本の自動販売

今でも一番印象に残っているのは、外国では自動販売機は景観が悪いので、置かないのであって日本はそういうことも気にせず無神経だ、みたいなことが書いてあったと思います。 

それを読んで、確かに便利だけどあんまり景観はよくないかもなぁ……でも、こんなに生活に密着しているとなくすのは、難しいのかなぁ……など度思っていました。

そして、景観と言えば電信柱も景観が悪いと言われているよなぁ……などと思っていました。

 

 

 

実際の外国人の考え

最近、ネットで外国人の考えも読めるようになったら、とんでもないことがわかりました。

日本に来た外国人も自動販売機の便利さに、素晴らしいとか、自分の国にもほしいけど、自分の国においたら壊されるしお金は盗まれるから無理だよなぁ、

などと、書いてありました。

あれれ、あの記事と全然違うじゃん。

 

 

 

電信柱が地上にあるわけ

他にも、電信柱は、確かに景観はよくないけれど、地震や災害の多い日本には地面に埋めてしますと、地中に埋めたものは修復に時間がかかるのだそうです。

その点、外にある電信柱は外にある分、修復が早いそうです。

場所によっては、地中に埋めているところもあるようですが。

 

 

 

「何でもかんでも日本はだめ」

「何でもかんでも日本はだめ、外国は素晴らしい」にはもうだまされません!

昨日、ネットで見つけました。

名前は忘れましたが、イギリスに長い間住んでいてイギリス大好きな人らしく、たまに日本に来ては、「日本人は子ども、イギリス人は大人」というようなことを書いて本を出版をしている方だそうです。

ちょろっと読んだのですが、どうもその方は日本人はだめ前提で記事を書いている気がしました。

今でも、よく売れているそうです。

その方が売れるから書くのか、本当にそう思っているのかわかりませんが、もうその手の話はよしてほしいですね。

 

 

 

「日本は素晴らしい」の番組は恥ずかしい

そうかといって、「日本は素晴らしい!」と言ってべた褒めしているテレビ番組もありますが、あれも見ていて気恥ずかしくなってお尻がムズムズするので最後まで見たことはありませんが。

あそこまで、自画自賛をしなくてもどの国も良い所もあれば悪い所もあるでしょう。

 

 

 

端から見ておかしいことはあるかもしれませんが、そうなっていくにはその国の歴史や事情があると思います。

それも受け入れたうえで、良くないことは直していく努力をすればいいのだと思います。

私たちももうそろそろ日本に自信を持って、堂々と生きていきましょうよ。

 

 

 

 

 

 

「愛のある言葉」への私の意見

今日は、私の宗教観が入りますので,嫌な方はスルーしてください。

 

 

 

「愛のある言葉」

見つけましたよ、「愛のある言葉」という人のお話。

「人が聞いて嫌がることは言わない」、「人の心に灯をともしてあげるようなプラスの言葉を使う」のだそうです。

素晴らしいことをおっしゃっています。

その通りです。

こういう方の努力のおかげで、日本人の民度がさらに上がったのかなとも思います。

私は、これにプラスαをしてもらいたいなぁ……と思います。

 

 

 

 

現世は、地獄の住人と天国の住人が一緒にいる状態

今現在私達が生きている現世は、あの世の地獄の住人たちや天国の住人たちが一緒に住んでいる状態だと思っています。

なぜなら、肉体という衣をつけているので外観からはわかりません。

だから、天国の住人のような愛のある言葉を使おうと意識している人たちだけなら、とっても素晴らしいと思います。

 

 

 

地獄の住人もいます。

でも、地獄の住人達もいるのです。

その愛のある言葉を使う人たちのやさしさを、悪用しようとする者もいます。

だから、それにプラスαが欲しいのです。

 

 

 

対策

相手が自分と同じ思いの人かどうかということを見抜く力を持つことが、大事だと思います。

そして、そうではないあまりいい考え方をしていない人の場合には、愛のある言葉は使わない方がいいと思います。

使っても少ない方がいいと思います。

彼ら彼女らは、やさしい人を自分より見下し、自分の都合のいいように使おうとします。

そして、相手が望むなら……ということで言うことを聞くと、また別の要求をこちらの都合は全く関係なくしてきます。

だから、距離を置いて毅然としていることが大事だと思います。

 

 

以上のことが、私の体験からの意見です。

分かってもらえるかどうかわかりませんが……

 

 

 、

 

 

 

 

 

ザックリとに日本史を考えてみた

西太后

以前は、新聞の小説が好きでよく読んでいました。

清王朝末期の西太后の話が、小説にあったので毎日楽しみにしていました。

小説だから、事実とは違う話もあるとか、オーバーに書いてあることもあるかもしれませんが、小説を読んだかぎりでは、恐ろしい女性でした。

西太后は、正妻ではありませんでした。

男の子がいない正妻は西太后の息子を良くかわいがっていたのですが、自分の息子を殺して、それを正妻のせいにして正妻の座から引きずり下ろし、殺すのではなく、正妻の舌を切り自殺もできないようにし、手足も切断しアルコール漬けにし、毎日それを見に言っていたといいます。

読んでいて気持ちが悪くなってきました。

西太后は、皇帝が亡くなった後、息子が5歳の時に帝位につくや実質西太后が、政権をとっていたといいます。

自分さえよければよく、国民のことは全く考えていなかったようです。

こんな女帝のいる国は国民はどんな人間になっているのだろうと思いながら、読んでいました。

最近はネットで中国のことも調べようと思えば調べられるので、わかりました。

やっぱりそれなりになっていくのでなと思いました。

 

 

 

日本は…

かたや、日本はというと、織田信長の前あたりはわかりませんが、織田信長、秀吉、家康あたりは、いろいろ意見もありましょうが、全体でいうとよかったのではないかと思っています。

もものすごく歴史に詳しいわけではないけれど、ザックリと考えて(日本史に詳しい人が見たら、怒られそうですけど)この3人はキリストを禁止していますよね、

禁止の経緯はそれぞれかもしれませんが、結果としては、よかったのではないかと思います。

なぜなら、植民地化の手始めは、キリスト教徒にすることからだったようです。

そうすれば、扱いやすかったようです。

この記事を書くのに色々調べたら、色んな説がありすぎてわからなくなってしましました。

とにかく、西太后のような身勝手なトップがいなかったことは日本にとっては、大変良かったと思います。

 

 

 

 

秀吉は…

余談ですが、いろいろ調べていて私なりに感じたのは、秀吉はただの百姓から成りあがってきたのに、よくあれだけのことを成し遂げたなということです。

他の人々は、武士の出ですので、小さい頃からそれなりの教育を受けているけれど、百姓出身の秀吉は、すべて自力でそういうものを身につけてきたのだなと思い、改めてすごい人だったのだなあと思いました。

 

 

 

 

天皇家が続いたわけ

あともう一つ、誰一人として天皇の座を狙わなかったことが本当に奇跡だったと思います。

学生の頃は、何の不思議も感じなかったけれど、外国のことも一緒に考えてみるとナポレオンだって皇帝になったわけですし、そういう欲が出ておもおかしくないのに皆、天皇家から、ありがたく位を頂戴する形ですよね。

これが天皇家が続いてきた理由ですけどね。

今も総理大臣は、天皇陛下から任命される形をとっていますから、日本は進んでいたのかもしれませんね。

 

 

 

 

素人の勝手な思い込みかもしれませんが、国のトップの影響は、大きいです。

日本には、歴史のかなめで大変しっかりした人がなっており、そのつながりで今まで来たのだと思います、

日本人の民度の高さも、こういうしっかりとしたご先祖様方のおかげではないかと思います。

 

 

 

 

日本人てすごい!

篤姫を見るきっかけ

日曜日の夜8時あんまり見たいのないなぁ……なんて思いながら、チャンネルを渡り歩いていました。

ちょっと見て次、ちょっと見ては次という具合にあちこちチャンネルを変えることが数週続き、そのうち「あれ、これは面白いかも……」と見始めたのが、篤姫でした。

それからは、毎週面白くて、ほとんどドラマを見ない私が夢中になってしまいました。

今思い出しても、どこがおもしろかったのかわからないのだけれど、最後までちゃんと見ました。

 

 

 

大河ドラマから思いを巡らせて

それから、毎年大河ドラマを見るようになりました。

大河ドラマは、たいてい戦国時代か明治維新の前後ですよね。

毎年そういうのを見ているうちに、日本の歴史というものを考えるようになりました。

今考えると、黒船がやってきて開国を迫られるんだけど、当時としては、今でいうと宇宙人に開国を迫られたようなものじゃないかな、とおもいます。

 

 

 

日本の危機

その後は、欧米の国ぐにの人々が次々とやってきて、しかも彼らは日本という国を植民地にしようとしていたわけですよね。

当時の日本人は、そのことをどのくらいの人々が気がついていたのでしょうか。

だから、討幕を考えたわけですよね。

 

 

 

富国強兵

なんとか開国をしたものの、欧米諸国がアジア諸国を好き勝手にしているのを知って、危機感は半端なかったと思います。

お隣の中国もアヘンでめちゃくちゃにされていましたものね。

常に次は日本の番だ……と……

だから、富国強兵と言って国力をつけることに必死だったんでしょう。

学生時代は、富国強兵という言葉は勉強として覚えてはいたけれど、当時の人々の切羽詰まった思いまでは考えられませんでした。

しかも、私たちの世代は、自虐史感ど真ん中ですからね。

 

 

 

日本人は頑張った!

この年になって考えてみると、日本は運の良さや海に囲まれていることで、地理的には恵まれていたこともあったでしょうけど、何より、日本人の頑張りが一番だったんじゃないかと思います。

とうとう一度も植民地にならなかったですものね。

そのあと数々の戦争に勝ち続け、太平洋戦争に突入して負けるわけですが、改めて日本人てすごいなぁと感じ、今、自分が日本人に生まれた子を誇りに思っています。

 

 

 

民度の元

いくら富国強兵と言って尻を叩いてみても、国民がそれをこなせる力がなければ達成しません。

日本人はその力があったんです。

子どもの頃、嘘をついてはいけません。

約束を守らなければいけません。

人を思いやりましょう。

悪いことをするとお天道さまが見ていらっしゃるよ。

その他いろいろありますが、子どもの頃、そのことがどれほど大切なことかわかりませんでしたが、

 

 

今、世界の人々の民度を見ていると、どんなに素晴らしい制度であっても、民度が低ければ生かされないし、それが国力の差となっていくということが、よくわかります。

 

嫌いなことシリーズ パート2

まだあった嫌いなこと

昨日に引き続き、嫌いなものシリーズで、スーパーやコンビニなどのレジでお金を出すと「〇〇円からいただきます」とか言われると、イライラしていました。

内心(〇〇円のどこからどこまでいただきますなんだよ!普通に〇〇円お預かりします、って言えないのかよ!!)と、突っ込みを入れたくなるのを必死に我慢して帰ってきました。

あれは、なぜ「から」という様になったのか知りたいなと思います。

 

 

 

朝ドラでも例のお辞儀

そこに、脇を開けておへそのあたりに両手をあてて、お辞儀をされるとやっと我慢していた私が思わず「グヌヌヌヌー!!!」

あのお辞儀、ある時からいきなりどの店でもやりだして、「えっ!なぜ!!これ日本人のお辞儀じゃないよ!!!」

以前何気なくつけたテレビで、朝ドラの中で、戦後の日本の銀行なのにあの例のお辞儀をしていたので、朝ドラのスタッフ、勉強不足!と思ったけど、わざとかな……

 

 

 

小学生じゃあるまいに、名札がひらがな

店員の名札を見ると、ひらがなで書いてあったりすると、この店もう来たくない!!!!って心境になっていました。

小学生じゃあるまいし、名札を平仮名……

最近は、私が慣れてしまったのか以前よりなくなったのかわかりませんが、イライラが減った気がします。

 

 

「よろしかったでしょうか」

あともう一つ、まだあるんかいって言われそうですけど……

「よろしかったでしょうか」という言葉遣いです。

なぜここで過去形なの?と突っ込みを入れたくなるような言い方です

普通に「よろしいでしょうか」にしてほしいです。

この言葉も最近は、一時より耳にすることが少なくなったようなので、私の心は少し平和です。

 

 

 

これらのことが、私の記憶違いでなければ、ほとんど同じ時期だったような気がします。

全体にまだありますが、以前よりは減った気がします。

いったいきっかけは何だったんでしょうね。

これらのことは、年齢関係なくあったと思います。

私の嫌いな言葉

「今の若いもんは」

年をとると、「よく今の若いもんは」という人が出てくるので、自分はそういうことは言うまいと気を付けてきたつもりでした。

自分の若い頃も言われましたから。

人から聞いた話ですが、昔の記録の書が出てきましたが、字が読めない字だったので、研究を重ねているうちに読めるようになり、読んでみたら今の若い者はなんちゃらナンチャラカンチャラと書いてあったそうです。

笑い話のような話でした。

 

 

 

2チャンネルによくでている

私は、2チャンネルが好きでよく見ます。

そこによく書かれている言葉がありますが、それだけはどうも嫌なんです。

その言葉は、若い人が多く使っている言葉です。

 

 

 

「死ね」という言葉

一番最初に耳にしたのは、長男が小学校に上がってだいぶたってからだったと思います。

嫌な言葉だなぁ、私たちの頃は、絶対使わなかった言葉だなと思っていました。

長男には、そんな言葉はやめた方がいいよと言ったと思いますが、はっきりは覚えていませんが……

その言葉とは、「死ね」とか「死ねばいいのに」とか……

簡単に使っている気がします。

 

 

 

人が人を殺す言葉はいけません

私の考えすぎでしょうか。

相手の人の存在自体を全否定しているようなこの言葉は、大嫌いです。

どんな嫌な人であっても、人の存在そのものを否定することはいけません。

私も義母に怒ったりはしましたが、「死ね」とは、言いませんでした。

いくらなんでも、人間が同じ人間を殺すことはいけません。

嫌いだから、自分の目の前からいなくなってほしいからでしょうけれど、この言葉はいけません。