HIDARIの人たちの事

長谷川幸洋氏と高橋洋一氏の動画

最近は、長谷川幸洋氏と高橋洋一氏のnewsチャンネルという動画をよく見ています。

最近見た動画の中でおもしろいものがありました。

長谷川氏は、元HIDARIでHIDARIで有名な東京新聞の記者をしていた人です。

私が見て面白いと思った内容は、長谷川氏がHIDARIに行ったきっかけとか、そこを抜け出すきっかけとかを話していました。

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HIDARIは理想論

一方、そんな事には全く興味のなかった高橋氏のその温度差が面白かったです。

長谷川氏が言うのには、自分がHIDARIを抜け出すきっかけになったのは30代後半に米国留学をしたときだったといいます。

その留学先では、超現実主義のところだったそうです。

そこでHIDARIの考え方の理想論に気が付いたといいます。

私は、それを聞いていてストンと腑に落ちました。

 

 

 

 

 

 

納得

というのは、私が以前から感じていたのは、HIDARIの人達というのはいつも理想論ばかりを言って、耳障りの良いことや、耳障りのいい言葉ばかり使うと感じていたのです。たぶん、これに騙される人が多いだろうと思っていました。

やっぱりそうだったようです。

私は、いつも思うのが、物事を考える時は、その原点を絶対に忘れてはならない、という事と、物事の全体像を必ず描くこと、これを常に忘れなければ、横道にそれても大丈夫です。

どんな複雑なことになっていても、解決の道は見えてくると思います。

 

 

 

 

 

HIDARIは中二病

高橋氏は、HIDARIの人たちの理想論ばかりを言っているのを聞いていて、ばかばかしいと言っていました。

長谷川氏は、それに対して、そう机上の空論だよね、と言っていました。

コメント欄には、中二病だと言っている人がいました。

昔は、若い頃のはしかみたいなもの、と言われていたといいます。

60代になっても70代になっても、その中二病に感染したままの人たちが、沖縄等に集まっているし、野党にもいます。

高学歴の人が多いです。

 

 

 

 

 

 

HIDARIは結局は内ゲバ

長谷川氏が言うには、現実が見えていない人達で、議論が好きな人が多いということでした。

それと、政府批判をしなければいけない、という義務感を持っている人達、という事でした。

そして、議論で相手をねじ伏せることが好きな人が多い、という事でした。

長谷川氏が言うには、結局は内ゲバになることが多いという事でした。

そういえば、あさま山荘事件がそうでしたね。

あれは結局内ゲバで、長時間テレビで放映されて、あれをみてHIDARIを卒業した人が多いと聞いたことがあります。

 

 

 

 

 

HIDARIは自分の主張ばかり

そう、HIDARIの人たちは、権利とか言いながら、自分と違う人の権利は受け入れようとはしません。

どんな手段を使っても、相手をねじ伏せようとします。

私は、以前からそういう事を言っているのを、不思議に感じていました。

今で言うと、夫婦別姓とかLGBTという少数派の人達の権利とか言っています。

それは一つの意見としてはかまわないのです。

そういう意見もあるという事は、いっこうにかまいません。

 

 

 

 

 

 

夫婦別姓に不満は少ない

ところが、彼らはどうしても法律に入れたいようです。

夫婦別姓に関して言えば、実際結婚をしても旧姓を使いたい人、は日本社会ではほとんど認められています。

100%ではないけれど、そこに不満を感じている人は少なく、国を挙げて大騒ぎをするほどのことでもないのです。世界的に見ると、日本のように結婚をすることによって名字が変わる国の方が少ないようです。

そういう国は、以前に日本がかかわった国に多いようです。

 

 

 

 

 

 

反日の下心

ただ、その問題を扱っている動画のコメント欄を見ると、夫婦どちらかの名字を変えることによって、戸籍がはっきりしているので、自分のルーツが分かってどこの馬の骨かわからないという状態でなくて、嬉しかったという人がいました。

HIDARIには、反日の人間が多いです。

という事は、もしかしたらという前置きを言いますが、戸籍がはっきりしないほうが彼らにとっては、自分の素性がばれないから都合がいいという事に繫がるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

少数派と多数派

これに関しては、もう一つの意見もあります。

古来からある日本人が守ってきたものを破壊する目的があるのではないか、と言われています。

JGBTですが、少数派を否定するわけではありませんが、こういう人達が生きずらいのなら考えなければいけませんが、少数派のために大多数の人たちが犠牲になるというのもおかしな話です。

HIDARIの人たちに関しては、私はまだ言いたいことが沢山ありますが、また書く機会があったら書きたいと思います。