昭和天皇陛下
ちょっと時期が遅れましたが、昭和天皇のことを考えてみました。
ある日何となくですが、昭和天皇は何歳で天皇陛下になられたのか気になり、調べてみました。
1901年(明治34年)4月29日に誕生され、1926年(大正15年)12月25日、父である大正天皇の崩御を受け、第124代天皇となられました。
25歳の若さです。
昭和天皇の人生は波乱万丈
このころは、日本は戦争の色が濃くなっていた頃ではないでしょうか。
そして、共産主義思想も入り込んでいた頃でしょう。
改めて考えると、昭和天皇という方の人生は、大変な人生だったのですね。
日本という国は、古来から国の一大事になると、皇室に依存してきたように思います。
終戦を決めるのも話し合いがつかず、結局は陛下に決めていただこうということになったといいます。
今思うと、この若さで大変だったと思います。
昭和天皇の御決断
以下が、その時の昭和天皇のお言葉だそうです。
「自分の非常の決意には変わりない。内外の情勢、国内の情態、彼我国力戦力より判断して軽々に考えたものではない。国体については敵も認めていると思う。毛頭不安なし。敵の保障占領に関しては一抹の不安がないではないが、戦争を継続すれば国体も国家も将来もなくなる。即ちもとも子もなくなる。今停戦せば将来発展の根基は残る。武装解除は堪え得ないが、国家と国民の幸福の為には明治大帝が三国干渉に対すると同様の気持ちでやらねばならぬ。どうか賛成してくれ。陸海軍の統制も困難があろう。自分自ら『ラヂオ』で放送してもよろしい」というお言葉で、終戦が決まったといいます。
テレビドラマで終戦が決まった時に、今はどうかわかりませんが、以前はよく昭和天皇の玉音放送が流れました。
「耐えがたきを耐え、忍び難きを偲び……」という昭和天皇のお言葉がよく流れました。
私も終戦後生まれなので、実際の玉音放送を聞いたことがありませんが、昭和天皇のお言葉で、日本の国民が終戦を受け入れたようです。
マッカーサーの驚き
GHQは最初は、昭和天皇の戦争責任を考えていたようですが、マッカーサーのところに昭和天皇が行かれ、「自分はどうなってもいいから、日本国民を助けてほしい」と言われ、マッカーサーはとても驚いたと言われています。
マッカーサーも昭和天皇が自分に面会に来たと聞いた時、どうせ自分の命乞いに来たのだろう、と予想していたので、昭和天皇のお言葉を聞いてびっくり仰天だったそうです。
昭和天皇がお帰りなられるときは、見送りをしたと言われています。
マッカーサーの決断
マッカーサーは上記のような昭和天皇の言動と、日本人の天皇陛下への思いの強さを知り、ここで昭和天皇を処刑をすると、日本人が自分たちに何をしでかすかわからない、という結論に至って、昭和天皇の処刑の話が無くなったと言われています。
私の子供の頃の大人たちの天皇陛下への思いは、今の私たちの天皇陛下への思いとは比べものにならないくらい、神様という扱いだったと思います。
どこのおうちにも天皇陛下お一人のお写真と、天皇陛下と皇后陛下のお二人並んだお写真が、額に入って飾ってありました。
昭和天皇陛下の一生というのは、本当に波乱万丈の一生だったと思います。
われわれ日本人は、皇室のことを普段はそんなに意識をしていませんが、古来から日本人は日本の一大事になると、皇室を頼っています。
もっともっと、皇室のことをわがことのように考えるべきかもしれません。