防衛の話

日本国紀を読み始めた

百田尚樹氏の日本国紀を途中まで読んで、そのままになっていたので、また読み始めました。

まだいくらも読んでいなかったので、今は蒙古軍来襲の話です。

それを読んで、今の日本の防衛が気になります。

昔は、日本は海に囲まれていたことで、日本を守ることができていたと言っていいでしょうが、科学や技術が発達した現在は、海も簡単に乗り越えてきますから以前のようなわけにはいきません。

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現実の日本の防衛             

戦後70数年、日本は未だに軍隊を持つことができず、襲われて被害にあってからでなくては、反撃ができないという自衛隊が日本を守ってくれています。

 中国が強くなってアメリカが弱くなってきている現状でも日本人の意識は、以前と変わらず戦争はいけないの意識のままです。

そうです、戦争はしてはいけません。

しかし、こちらがする気がなくても相手が勝手に仕掛けてくる戦争もあります。

戦争反対と平和な日本で大声で叫んでいる人達は、そういう現実にはどう答えるのでしょう。

日本の周囲は、中国、北朝鮮、ロシアと原子爆弾をもっているし、油断のならない国だらけです。

唯一原子爆弾をもっていない韓国は、本心は欲しくてほしくて仕方がない上に、友好国のはずなのに日本を敵国扱いです。

この現実を、お花畑の方々はどう思っているのでしょう。

日本の隣国に行って、日本にいた時と同じように大声で戦争反対と叫んできてほしいです。

 

 

 

 

 

 

正しいことをすることは難しい

最近正しいことをすることは、人間世界では難しいものだとつくづく感じています。

三浦春馬さんの言っていたこと、行動してきたことはどれも正しいことだったと思うのですが、結果彼は人間をやめることになってしまいました。

命をかけて正しいことを貫いたという事に、感動してファンになった人は多いと思います。

私もそのうちの一人です。

 

 

 

 

 

 

三浦春馬さんを疎ましく思っていた人達

反対に彼を疎ましく思っていた人たちは、自分の言っていること、してきた事をどう思っているのでしょう。

三浦春馬さんが亡くなって二週間もしないうちに「三浦春馬さんを偲んで」という言い訳をしていましたが、あれはどう見ても偲んでいるようには見えません。

ベテラン俳優の勝村政信さんは、三浦春馬さんのことをデカチンくんと色紙に書いていました。

そのことを批判された言い訳が、彼は自分のことをカッチンと言っていたからだと言いました。

7歳年上の小栗旬さんのことを同輩や後輩が旬君と呼んでいても、彼だけは旬さんと呼んでいたといいます。

その彼が、自分の親ほどの年齢の俳優さんにカッチンとよぶとは思えないのですが……

彼が亡くなった今は、何とでも言い訳ができますからね……

あの写真は不愉快でしたね。

 

 

 

 

 

 

三浦春馬さんを偲んでいた人達

罪と罰」の舞台仲間とお店の店員さんたちも一緒だったらしいのですが、笑顔でピースをしていました。

彼は、あの人たちと一緒に舞台で演じていたのです。

自死という形で亡くなった彼のために、偲ぶという名目とはいえ、二週間もしないうちに集まって笑顔で写真に写ることができるという神経が、私にはわかりません。

 

 

 

そのことは、マスコミは少し扱っていましたが、彼らを擁護していたように思います。

もっと批判をしてもいいはずですが……