私の理想の逝き方
私がよく「コロッと逝きたい」と言います。
60歳過ぎてから死に方を考えています。
こういう話が苦手な方は、スルーしてください。
私の理想の死に方は、死ぬ直前に子供たちに「ありがと
う」と言ってから死にたいと、思っています。
夫や夫の親兄弟たちの事で、私が辛い思いをしている時
や苦しんでいるときに、子供たちは、それぞれ自分たちが
できる範囲で私を助けてくれました。
だから、お礼を言って逝きたいのです。
娘の友達のおじいちゃん
私がうらやましいと思った亡くなり方をした方は、娘の友
達のおじいちゃんです。
朝の6時ころ、友達のおじいちゃんとおばあちゃんが一階
のおじいちゃんとおばあちゃんの部屋で話していました。
話をしていたのに、おじいちゃんの返事が返ってこなかっ
たので、おばあちゃんがおじいちゃんの口に手を当ててみ
たら、息をしていなかったのです。
それを聞いたときに、人ってそんな自然に死ぬことができ
るんだと驚いたとともに、うらやましいと思いました。
娘の友達のおじいちゃんの亡くなり方は、亡くなる本人に
とっては大変うらやましいのですが、家族にとっては早す
ぎて心の準備がなく逆につらいようです。
印象に残っているおばあさん
もう一人印象に残っている亡くなり方をしたのは、近所の
おばあさんです。
次男の幼稚園の入園式が終わって帰ってきたら、近所のお
ばあさんが「おや、もう幼稚園かえ、早いもんだねえ。」
と、ニコニコしながら声をかけてくれました。
そのおばあさんは、その日の夜くも膜下出血で意識不明に
なりました。
そして、1週間後に意識が戻らないまま、亡くなりまし
た。
その当時、我が家ではしょうがのタネを売っていました。
そのおばあさんは、その日我が家にショウガのタネを買い
に来て、その帰りそのおばあさんの家までの5~6件の家
で、全部話をして帰ったそうです。
そのおばあさんは話の好きな人だったけれど、途中で誰か
にあうと話はしていくけれど、全部のうちで話をしていく
ということは、ありませんでした。
そのおばあさんが無くなったことを聞いて、みんなあのお
ばあさんが一軒一軒話をしていったのは、最後のお別れを
するためだったのかと……驚いていました。
生前、本人は意識をせず話をしていたのだとは思うのです
が、そして、その日に限ってそのおばあさんが通るときに
それぞれの家の人が偶然だとは思うのですが、外にいた
から話ができたんだと思います。
人間て、心の奥深い所でお互い繋がっているのではないか
と思っています。
不思議です……