人間の奥深い所にあるもの

私の理想の逝き方

私がよく「コロッと逝きたい」と言います。

60歳過ぎてから死に方を考えています。

こういう話が苦手な方は、スルーしてください。

私の理想の死に方は、死ぬ直前に子供たちに「ありがと

う」と言ってから死にたいと、思っています。

夫や夫の親兄弟たちの事で、私が辛い思いをしている時

や苦しんでいるときに、子供たちは、それぞれ自分たちが

できる範囲で私を助けてくれました。

だから、お礼を言って逝きたいのです。

 

           f:id:shiroppemaroni:20180319232856p:plain

娘の友達のおじいちゃん

私がうらやましいと思った亡くなり方をした方は、娘の

達のおじいちゃんです。

朝の6時ころ、友達のおじいちゃんとおばあちゃんが一階

のおじいちゃんとおばあちゃんの部屋で話していました。

話をしていたのに、おじいちゃんの返事が返ってこなかっ

たので、おばあちゃんがおじいちゃんの口に手を当ててみ

たら、息をしていなかったのです。

それを聞いたときに、人ってそんな自然に死ぬことができ

るんだと驚いたとともに、うらやましいと思いました。

娘の友達のおじいちゃんの亡くなり方は、亡くなる本人に

とっては大変うらやましいのですが、家族にとっては早す

ぎて心の準備がなく逆につらいようです。

 

 

 

 

 

印象に残っているおばあさん

もう一人印象に残っている亡くなり方をしたのは、近所の

おばあさんです。

次男の幼稚園の入園式が終わって帰ってきたら、近所のお

ばあさんが「おや、もう幼稚園かえ、早いもんだねえ。」

と、ニコニコしながら声をかけてくれました。

そのおばあさんは、その日の夜くも膜下出血で意識不明に

なりました。

そして、1週間後に意識が戻らないまま、亡くなりまし

た。 

その当時、我が家ではしょうがのタネを売っていました。

そのおばあさんは、その日我が家にショウガのタネを買い

に来て、その帰りそのおばあさんの家までの5~6件の家

で、全部話をして帰ったそうです。

そのおばあさんは話の好きな人だったけれど、途中で誰か

にあうと話はしていくけれど、全部のうちで話をしていく

ということは、ありませんでした。

そのおばあさんが無くなったことを聞いて、みんなあのお

ばあさんが一軒一軒話をしていったのは、最後のお別れを

するためだったのかと……驚いていました。

生前、本人は意識をせず話をしていたのだとは思うのです

が、そして、その日に限ってそのおばあさんが通るときに

それぞれの家の人が偶然だとは思うのですが、外にいた

から話ができたんだと思います。

 

 

 

人間て、心の奥深い所でお互い繋がっているのではないか

と思っています。

不思議です……