東日本大震災の時の我が家

あれからはや7年

今日で東日本大震災が7年です。

あの日、私が住んでいる関東でも地震がありました。

揺れている時間は、けっこう長かったです

ああ、やっと終わったと思ってテレビをつけると、そこか

らズーッとどの局も地震の事ばかりでした。

 

             f:id:shiroppemaroni:20170825222147p:plain

 

関東でも電力制限

最初、なんでこんなに地震の番組ばかりなのかわかりませ

でしたが、そのうちおっそろしく大きな地震だったこと

がわかりました。

地震だけでなく、津波もおっそろしく大きな津波も来て、

その津波のせいで原子力発電所も大きな被害を受けて、関

東であるこちらでも電力制限がありました。

知人宅では、東日本大震災の少し前にオール電化にしたの

で、電気が使えず大変だったようです。

 

 

 

 

 

食料品もない

スーパーに行っても、米、バン、納豆、ほかにもたくさん

の食料品がないのです。

だって、昨日まであんなに沢山あったのに……

どの棚も空っぽなんです。

あんなに沢山あった食料はどこへ行ったのでしょう。

我が家は、おかげさまで野菜はたっぷりありました

お米がなくて困りましたが……

 

 

 

 

 

「直ちに被害はない」

そして、テレビをつけると枝野官房長官の「直ちに被害は

ない」というセリフは暗記できるほど日に何度も放送して

いました。

私達が知りたいのは、直ちに被害がないということではな

く、直ちであろうがこれから先であろうが被害があるのか

どうかということと、どういう被害があるのかという事で

した。

学者の先生も、本当のことはわからないんだなあというこ

とがわかりました。

 

 

 

 

 

車の渋滞がすごかった

7年前のあの日、直売所からの帰りの運転をしている最中

に、実家の弟から電話がかかってきました。

すぐには出られないので、車を路肩に止めて5分ほど話を

して、又走り出しました。

ところが、わずか5分ほど話しただけなのに、元に戻って

走り出しましたがいつもは、10分ほどで着く我が家まで

30分以上かかってしまいまた。

後で人に聞いたら、夕方子どもさんを迎えに行って友達も

乗せて、自宅まで送って行ったら日付が変わってしまった

そうです。

 

 

 

 

 

娘が心配

夜になり、娘が心配になりメールを送りましたが、全く返

事が返ってきません。

当時、娘は東京の美容室で美容師をしていました。

住まいは、そこの美容室から電車で30分くらいのところ

のアパートで一人住まいでした。

当時、娘は仕事が終わって練習片付け掃除をしてアパート

つくのは、23時から24時でしたので、その頃にメー

を送りましたが、全く返事がないので心配をしました。

夫はというと、いびきをかいて寝ています。

それまでも、娘の心配をする一言もありません。

いつものことですが、全く理解ができません。

テレビでは、東京では帰宅できなくなった大勢の人々が、黙々と歩いていたり、あの寒い中駅で寝るとか……

だんだんと心配になってきました。

そのうちに、娘からの返事があり、お店に泊まるから大丈

夫だよ、という事でした。

あんな狭い所でどうやって寝るの?って、聞いたら寝袋で

床に寝るそうです。

それから安心して、寝ました。

 

 

 

被災した東北から遠く離れた関東ですら、こんな状態でし

た。

被災した方々は、本当に大変だったと思います。