生前の母の言葉

母の言っていた言葉

母が元気な頃よく言っていたのは、どんな酷いことがあっても「これ以上悪くなくてよ

かった」という言葉です。

そして、「家族が、全員食卓にそろって食事ができることが何よりだ「」と言っていました。

今自分も年をとって嫁の立場もわかると、あんな嫌な舅姑に口うるさい亭主関白の夫の

間で母もよく頑張ったなと思います。

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母の子どもの頃の話

5人姉弟の4番目の子だった私は終いの方だったので、母も少しゆとりもできたのでしょう。

私に小さい頃の話をよくしてくれました。

母が生きていたら、90代半ばかな?母親の年齢が怪しい親不孝な娘ですみません。

母が子どもの頃は、父親の作った借金で大変貧しかったそうです。

私の母の父親という人は、けっこうな金もちだったらしいのですが、騙されて借金をつ

くってしまい、貧乏になったそうです。

 

 

 

 

母の兄弟

昔の農家には、どこのうちにも納屋というものがあって、2階もあったそうです。

2階はあっても、階段はなくてあるのは、梯子だけだったそうです。

ある時、兄弟で納屋で遊んでいて、大きい子が2階に行くために梯子を上り始めたそう

です。

小さい子って、大きな子の真似をしますよね。

梯子を上り始めた後を、小さな子ものぼりはじめましたが、大きな子ほど早く上手には

のぼれません。

小さい子は、梯子から落ちて頭を打ってしましました。

当時、貧しくて病院に連れていくこともできず、その子はなくなってしまったそうで

す。

母が言うには、落ちてからしばらくは、まだ生きていたそうです。

そして、目の黒目がぐるぐる回っていたと言っていました。

 

 

 

 

100年前までは日本も貧しかった

今でこそ日本は、世界第3位の経済大国と言われていますが、100年くらい前はまだ

貧しかったのです。

その頃は、上に書いたように貧しくて病院にも行けない人たちが沢山いたのです。

今は、色んなものがあふれ、ない物がないのではないかと思われるくらいです。

そして、色んなことがとっても便利になっています。

 

 

 

 

感謝を忘れない

沢山のもの、便利なものに囲まれても、文句ばっかり言っている気がします。

物のない時代に生まれ育った母は、感謝を忘れませんでした。

私も、毎日の忙しさに気をとられていても何気なく思い出すのが、その母の二つの言葉

です。

「これ以上悪くなくてよかった」「家族が、全員に食卓のそろって食事ができることが

何よりだ」です。

 

今日は、何となくとりとめもない話になってしまいました。