人生の最後

離れに夫の母方の祖父がいた

私は、結婚をして40年ほどになりますが、結婚をしたころ同じ敷地内に夫の母方の祖父が住んでいました。

当時で80代だったと思います。

その頃は、まだ丈夫で離れで一人気ままに住んでいて、畑で野菜を作っていてとっても上手でした。

 

 

 

義祖父という人

農家の次男坊で野菜の行商から初めて、市内で一番大きな八百屋を経営をしていたという苦労人です。

自分のことは、全部自分でして我が家の庭の木の剪定もしてくれていました。

夕飯だけは、我が家のメインのおかずを持って行きました。

そして、義母が1時間ほど義祖父の所に行って、話をしてくるという生活をしていました。

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体が弱くなった義祖父

90歳になっても自転車に乗っているため、義母は心配をしていました。

でも、90歳を過ぎたあたりから、やはり体が弱り自転車も乗らなくなり、畑にも行かなくなりました。

そのうち、本当に体が動かなくなり、介護の生活が始まりました。

 

 

 

義祖父は病院に

義母は、義祖父が元気なうちは良かったのですが、本当に介護になったら義母の弟と一緒に老人用の病院を見つけてきて、そこに入れてしまいました。

義祖父は病院を嫌がっていましたが、私の知らないうちに私のせいで病院に入らなければいけないということになっていたそうです。

その頃私は、娘がお腹にいたのです。

それを理由に義祖父に入院を勧めたようです。

義祖父が入院をしてから叔母から聞きました。

 

 

 

私も夫と見舞いに

時々、私も夫と見舞いに行きましたが、そんな理由にされていることも知らず、今なら怒って義母に文句を言ったと思います。

その病院に行くと、義祖父の目の焦点が合っていないのです。

たぶん、義祖父は病院でかなり抵抗をしていたんだと思います。

安定剤か何かを飲まされていたのではないかと思います

見舞いから帰ってくると、気が重くなっていたのを思い出します。

義母は、毎日義祖父の見舞いに行っていました。

 

 

 

娘を出産

そのうち、私は娘を出産しました。

義祖父は、私の出産が終わったのだから帰りたいと言ったようですが、義母は絶対に退院をさせることは、ありませんでした。

義祖父が入院を嫌がっていた時、私が義母に私達も協力をするから、おじいさんを連れてきたらどう?」と言ったのですが、今度は「子供たちが汚いと言うから」と子供のせいにされました。

家の子供たちは、一度も「おじいちゃん汚い」と言ったことはありません。

義母は、自分が実の父親の介護をしたくなかっただけで、そして、そのことは絶対に言わず、すべて私と私の子供たちのせいにしていました。

 

 

 

因果応報?

不思議なもので、介護から逃げたけれど、自分の老後を託していた実の娘に介護を逃げられたのです。

こういうのを、因果応報とかブーメランというのでしょうか。

義母の娘の義姉も70代です。

たぶん、自分の老後を自分の娘に……と思っているのでしょう。

義姉の介護はどうなるのでしょう。

 

 

 

両方の親の生き様

私の実家の両親は、祖父と祖母の介護を自宅でしました。

二人とも数年間、床に就いていたので大変だたと思います。

でも、床ずれ一つつくらず看取ったというからすごいと思います。

私の場合は、自分の両親と義母の生き様を見せてもらいました。

夫と夫の兄弟は、義母の生き方しか知りません。

私は、義母を最後まで看取るつもりでいましたが、義姉が連れて行ったため介護をしないで終わってしまいました。

何となく、人生って最後まで分からないものだと思いました。

 

 

私の娘は、「お母さんだけは看るよ」と言ってくれていますが、できれば誰にも世話にならず、ある日ぽっくりと生きたいと思っております。