人生の終盤で気がついたこと
人が生きていくにはお金の心配をしない程度のお金があって、適度に人と付き合っていけたなら、かなり楽に生きていけるのではないかと、思います。
人生の終盤に入って、こんな当たり前のことに気がついている私に、我ながらがっかりしています。
もう手遅れな気がしますが……
人間観察が好き
私は、小さい頃から人間観察が好きで、そんなことばかりしていたから人付き合いは楽しくやってきたと思います。
これはちょっと身近な人には言えませんが……
何故なら、身近な人にそれを言うといつも観察をされているようで気分が悪いでしょう。
と言いながら、最近身近な人に私のブログの存在を教えていしまったから、これを読んだら気分が悪いかもしれません。
こういう人にはこういうことを言ってはいけないとか、この人にこれを言うと喜ぶだろうなぁ……とか、そういうことです。
誰でも、無意識に考えたり思ったりしていることかもしれませんが……
そういう思いが、人より少し強かったのかもしれません。
人との付き合い方
初めての人にも、ほとんど気にせず話せます。
元は誰でも知らない人だったのだから、というのが私の考えです。
人付き合いが苦手という人を見ていると、自分から壁をつくっているように見えます。
端から見ていると、そんなに壁をつくったら話は続かないし、相手も話しづらいだろうになぁ……と、思いながら見ているときがあります。
自分から心を開いていけば、だいたいは相手の人も話をしてくれることが多いです。
中には、どうしても心を開きたくないオーラがバリバリに張り巡らされている人もいます。
そういう人には、バリバリオーラが張り巡らされた時点で、終了にします。
基本相手の嫌がることはしない方が、良いと思います。
あの時は、うつ病だったのかなぁ…
という感じで私は生きてきて、辛いときも苦しいときもめったにできない、人が体験できないことを体験できている私、と自分に言い聞かせて乗り切ってきたあほです。
今考えると、辛いときの状況を自分の中で整理ができず、人に説明ができずただただ涙が流れてしょうがなかったこともあったし、眠ろうと思っても眠れなかった時もありました。
今思うにあれはうつ病に近かったのかなぁ……と思います。
そんな体験もしたけれど、無駄なものはなかったと思います。
というか、そういう状態を乗り切るだけで精いっぱいだったと思います。
後悔をしていること
そんな中で一つだけ後悔していることがあるんです。
それは、お金に無頓着だったことです。
そんなことを書くと、お金に不自由しなかったんだろうと言われそうですけど、実はいつも困っていました。
無頓着と言っても、買いたいものを買いたいだけ買うとかそういうわけではなく、なければないでしょうがないなで終了という感じです。
我慢をして終わりで、もっと積極的にお金を貯める方法とか考えて行動しても良かったのかなという程度のものです。
それが、いつも綱渡りみたいに何とかなってきたのです。
私の姉が一時、「私(姉)の家には貧乏神が住み着いているのではないかしら、早くでて行ってくれないかしら。」と言っていた時がありました。
今は、そのようなことは一切言わないので、たぶん出て行ったのだと思います。
たぶんですが、我が家にも強力な貧乏神が何体も住み着いている気がします。
よほど居心地がいいのでしょう。
出ていきません。
これから、私も遅まきながらお金の勉強をして、貧乏神を撃退したいと思います。
お金に無頓着なわけ
ちょっと言い訳を言わせてもらうと、お金に無頓着になったのには理由があります。
小さい頃から、祖父が大嫌いでした。
その祖父がまた大のケチでして、家族が何かを買ってくるとチェックを入れたり、畳がすり減るからすり足で歩くなとか云々……でした。
吉本喜劇で畳がすり減るからすり足で歩くな、足を上げて歩け!と言っているのを見たとき、笑うより「爺さんだ!!」と思いました。
たぶんその反動だと思います。