私はいらない子だった

私の兄弟

私の兄弟は、姉2人と弟と私の4人です。

もう一人姉がいたのですが、亡くなっています。

 

 

 

 

私は男に生まれる予定だったらしい

女の子が4人続いたものですから、田舎の農家なのでとにかく跡取りの男の子が欲しいだったらしいです。

あまりに女の子が続くので、私が母のお腹にいるときに占い師に聞きに行ったようです。

そうすると、「丸々と太った男の子です」と言われ、大喜びで帰って家族みんなで楽しみにしていたようです。

いざ生まれたら私でしたので、一番待ち望んでいた祖父の落胆ぶりはそれはそれは大変なものだったようです。

後々事あるごとに私は、生まれたらついていなかったと言われ続けました。

 

 

 

 

念願の弟が生まれました

そして、2年後には母はまた妊娠します。

今度は、また女の子だろうからと誰も期待をしていなかったのに弟が生まれたのです。

だから、祖父の喜びようはそれはそれはすごかったようです。

その後は、母が後々まで言っていたのが祖父が、弟の面倒をほとんど見ていてくれいたといいます。

私は、全く覚えていませんが、授業参観にまで行っていたといいます。

ただ、弟は周囲の子達は授業参観に来るのはほとんどがお母さんなのに、自分だけは祖父だったのが不満だったようです。

 

 

 

 

女の子なんて金食い虫

祖父にしてみれば、跡取りの弟だけがいればいいということだったのでしょう。

女の子なんて金がかかるだけですから。

実家の方では、女の子を嫁に出すとなると相当のお金がかかるので、しかも4人もいます。

ドケチな祖父にしてみれば、金食い虫だらけだったのでしょう。

 

 

 

 

可愛くない孫の私

その中でも私は、ちっとも言うことを聞かないし、しかも他の孫たちは逆らわないのに私だけはもろ逆らってくるので、気に入らないったらなかったと思います。

今でも、他の兄弟たちに聞くと「じいちゃんは怒ると、目が三角になって蛇に睨まれた蛙みたいに逆らえなかった」と言いますが、私は祖父が怖いと思ったことはなかったのです。

まぁ、私と2つ違いの弟への可愛がり方の差が激しかったので、わたしの中ではそういう形で反発をしたんだと思います。

弟にお菓子を一袋を渡すと、私にはその中から一つまみだけでしたし、弟と遊んでいると弟にはこぼれんばかりの笑顔で、私にはフンっていう感じでした。

 

 

 

 

祖父が大っ嫌い

だから、私は祖父が大っ嫌いでした。

中学生の頃は、大好きな食べ物が大皿にのっていても、祖父が取った後は絶対に取りませんでした。

祖父だけでなく、あからさまには口に出さないだけで家の大人たちの雰囲気は、子供心にも私はいらない子なんだろうなぁということを、感じ取っていたと思います。

そんな中でも母だけは、差別は少なかったと思います。

母の持論では、どんな子であれ生まれた子はすべてちゃんと可愛がらなければいけないという考えだったんだと思います。

家の大人がそういう風だと、親戚近所皆同じ扱いになるんですよね。

 

 

私も子供ができて、他のお母さん方が兄弟でも可愛いこと可愛くない子がいるというのを聞くと、とっても悲しくなりました。

小さい頃の自分を思い出しました。

 

 

……