子どもの頃、沢山の野菜果物を食べました。

昔の肥料は、人糞だった

幼い頃の実家では、良い思い出はほとんどないけれど、野菜や果物は美味しかったと思います。

北陸の農家で生まれ育たちました。

たぶん肥料も買うこともなく、人糞だったと思います。

人糞を運ぶのを祖父に手伝わされた思い出があります。

 

 

 

 

母の畑で野菜を食べた

祖父が畑をやらなくなってからは、母がやっていたと思います。

母の時は、人糞を運ぶ手伝いをした思い出がないのであまりわかりませんが。

母は、よく畑に私を連れて行って、ここで食べなさいと野菜を私に渡してくれた思い出があります。

たぶん、祖父が異常なほどのケチだったので、家で個人的に私に食べなさいと渡すと祖父に叱られるので、祖父のいない畑で食べさせてくれたのだと思います。

美味しかったです。

 

 

 

 

庭には柿の木がたわわに実をつけていました

秋になると、庭にある柿の木にたわわに実がなり、毎日自分で柿の木に登って食べたいだけ食べていました。

庭には、甘柿の木と渋柿の木が各1本づつありました。

甘柿の場合はそのまま皮も剥かず、かじっていました。

かなり野生児でした。

渋柿は、ちょっとかじってまだ早いなと思ったら、田んぼに藁の束を積み重ねてあるのがいくつも所どころにあるので、そこに押し込んでそれを覚えておいて食べごろだと思ったら、出してかじってみるのですが、甘ければそのまま食べますが、まだしぶければ、また同じ場所に突っ込んでおきます。

それも楽しみの一つでした。

 

 

 

 

イチジクも沢山の実をつけました

イチジクもありました。

庭の前に田んぼがあって、その田んぼの先にイチジクの木がありました。

あまり大きくない木でしたが、実はたわわになっていました。

毎日、学校から帰るとバケツを持ってきてバケツに入れるのです。

毎日バケツにいっぱいとれていました。

それを家族の人数に分けてから、自分の分を食べていました。

柿もイチジクもそれに関しては、ケチの祖父は何も言いませんでした。

それらは家族全員に分ければ、自由に食べられました。

今みたいに売ることができたら、食べさせてはくれなかったと思います。

 

 

 

 

大人になりました

それから学校を卒業して、実家を出て大人になってお店を見ると柿もイチジクも売っていました。

柿もイチジクも大好きだから食べたいのに、私の中では、柿もイチジクもお金を払って食べるものではないという感覚がとれず、こういうものにお金を払うのは、ついもったいないと思ってしまい、長い間毎年秋は「食べたいでももったいない」の葛藤の日が続いていました。

 

 

今ですか?今は毎年お金を払って食べています。

都会人になったのかな?