セカンドオピニオン

 

年齢的に病院通いが多い

私たちの年齢になると病院通いをしている人はとっても多いです。

おかげさまで私は、まだ定期的に病院に通うということはしていませんが。

子どもからは、行くようには言われてはいますが……行かないで粘っています。

 

 

 

 

母が交通事故に

お医者さんによって同じ病気でも判断が、全く違うときがあります。

母のことですが、母が70代位だったと思います。

私は、その時はここにいたので、母は実家の方にいたので弟から聞いた話ですが。

ある時、母が叔母と道路を歩いていると交通事故にあいました。

その時は、外観からはひどいケガをしているということはなかったのですが、一応大事をとって総合病院で全身を調べてもらったんだそうです。

 

 

 

 

母の脳に血の塊が見つかりました

そしたら、交通事故とは関係ないのだけれど、脳に血の塊が大小けっこうの数が見つかったのだそうです。

その時の担当のお医者さんが、この血の塊はいつ破れるかわからないので手術をした方がいいけれど、年齢的に体に負担が来るので、手術はやめましょうと言われたそうです。

そういわれても弟は納得がいかなかったらしく、田舎の方の総合病院は二つありましたので、もう一つの方の総合病院に行ってみてもらったそうです。

 

 

 

今度の先生は手術をしましょう

もう一つの方の病院の先生には、診断の結果は同じことを言われたそうですが、手術はしましょうと言われたそうです。

そこで、弟は最初の病院で見てもらった先生に言われたことを話したそうです。

そしたら、後の方の先生が「先の方の先生は、私の恩師なので直接先生と話をしてきます」と言われたそうです。

その結果、手術をすることになりました。

 

 

 

 

手術は成功でした

術後は成功し、母の経過は順調でした。

年齢的に回復するのに日数がかかるのはしょうがないことですが、後遺症もなく元気でした。

その話を聞いて思ったのですが、この場合はどちらが正しいとか、正しくないとかではなく、診察の結果は同じだけれど、お医者さんの判断が真反対でした。

母の場合は、たまたまうまくいったけれど手術がうまくいかない場合もあるわけですよね。

 

 

結果オーライでいうと、弟がセカンドオピニオンをしてよかったと思います。

こういう話を聞くと、病院選びって大事だなぁ……と思います。

でも、難しいですよね。

 

 

 

 

地域のうっとおしいは防犯つながっていたのかな

河野さん早速「慰安婦合意着実履行しなければならない」と述べたそうです。♫

言いましたね。♫

河野さん頑張れ!!

 

 

 

 

お施餓鬼がありました

今日は、新盆を前にお寺でお施餓鬼というのがあるので、行ってきました。

お施餓鬼とは、亡くなった方全員を供養して、そして自宅のご先祖様をお盆にお迎えをするのだそうです。

同じ宗派のお坊さんが、20人余りでお経を読んでいただき、私たち一般人はお焼香をして、帰りに塔婆をもらって帰るというものです。

新盆の家の人は、前に座ります。

 

 

 

 

お施餓鬼と話には聞ていましたが、出席するのは初めてなのでどんなものなのかドキドキしました。

今までは、とっても混むので夫が塔婆だけをもらいに行っていた状態でしたが、今年は新盆ですので、子どもたちにも出席をするように言い、喪服で出席しました。

とにかくとても混むと聞いていたので、30分以上早めに家を出てお寺に行きました。

ところが、夫が仕事場に用があるといって先に家を出て、お寺に行っても姿は見えず一時焦りましたが、なんとお寺の中にいました。

 

 

 

 

夫が小さい頃は、お寺が遊び場だった

それから、始まるまでの30分以上暇でした。

その間夫から小さい頃にお寺で遊んだことを聞きました。

夫が小さかったころは、お寺で遊んでいたといっていました。

ちょうど今日お坊さんたちが、お経をあげてくださった場所で遊んでいたといっていました。

そこには、本棚があって本がいっぱいあって自由に読めたといいます。

ちょうど今の学童のようなことをしていたんですね。

当時の親は仕事が忙しくて、子供の面倒を見ることができないからお寺で見てくれていたんですね。

 

 

 

 

地域のつながりが希薄になっている

今よりずっと地域と密着をしていたんですね。

そういえば、お葬式の日の焼き場での軽食の時住職さんが、地域の人たちが希薄になってきていると寂しそうに言っていらっしゃいました。

お互いに干渉をしあわなくなって、楽になっているけれどこれでいいのかなあ…という気持ちもありますね。

 

 

 

 

田舎のおばあさん

だいぶ話はそれますが、私の姉が話をしていたことなのですが、実家に行くと、近所のおばあさんが一日中縁側に座っていて、家の前の道路を通った人に声をかけていたようです。

姉が帰省した時もそのおばさんが縁側からやってきて、姉にいつ帰ってきたのか、いつ自分の家に戻るのか、そして、今日はどこへ行くのか、何時に帰ってくるのかと聞くのだそうです。

そして、だいたいの帰る時間を言ったので、帰りの時間にはちゃんとそのおばあさんは姉を待っていたそうです。

昔はそんな人がいっぱいいましたね。

 

 

うっとおしいけれど、ある意味そういう事が防犯につながっていたのかもしれませんね。

それを聞いたときは、うんざりしていて、防犯につながっているとは夢にも思いませんでしたが、そういうことだったんですね……

 

第3次安倍内閣が発足しました

新内閣のスタートです

第3次安倍第3次改造内閣が発足しました。

残った方も新しく入閣された方も、気持ちを新たに日本のために頑張っていただきたいと思います。

 

 

 

 

河野さんに注目しています

皆さんも思いは色々あるでしょう。

私は、全体ではあまりわからないのですが、注目しているのが外務大臣河野太郎さんです。

河野さんは、お父さんの洋平さんがかなりの中国韓国よりです。

息子の太郎さんは、そのことをどう考えているのか、お父さんと同じなのかそれとも全く違うのか、それとも、中間くらいなのか全くの未知数です。

河野太郎さんではっきりわかっているのは、原発反対です。

以前、行革相になった直後河野さんのブログにあった原発反対の記事は、即なくなったということでした。

今回もそうかな……普段河野さんのブログを見ないのでわかりませんが、今少しだけ河野さんのブログを見たけれど、原発関係は見当たりませんでした。

 

 

 

 

河野さんは未知数

私は、個人的には河野さんを評価をしています。

原発反対も賛成ですし、でも、お父さんの洋平さんは中韓と仲良しですし、慰安婦の強制連行を認めていますが、太郎さんはその辺はどう考えていらっしゃるのは?です。

また、その件に関したことにはまだ一度もコメントをされたことはないので、正直?です。

もし、お父さんと同じ強制連行を認めるのなら、外務大臣やばくない?と思ったけれど、二階幹事長のような親韓派を使うというということもやっていらっしゃるから、それと同じと考えたらおかしくないかな……

親韓派が外務大臣をやっていれば、マスコミも気にして密着も多くなるし、記事も多くなるから本人もやたらなことはできないということはあるかもしれませんね。

親韓派の二階さんもうまく使っていらっしゃるし……

 これは、私の勝手な妄想ですけどね。

 

 

 

 

2世3世議員はだめ?

ちょっと話が外れますが、世間では2世3世議員はだめだという方が多いですが、私は良いと思っています。

何故かというと、全然ダメな方もいるでしょうが、何よりDNAもありますし、育った環境が本人も気づかないうちに政治家にとって大事なことを身に着けている可能性があります。

こういう事って一代目が身に付けようとしても、なかなか身につくものではありません。

苦労せずに看板、鞄、地盤を手に入れるなんて生意気だって……

でもね、それを言うなら全くの赤の他人にそれを譲る方って結構いらっしゃるじゃないですか。

そう意味で2世3世が駄目というなら、その方々もダメって言わなきゃおかしくないですか?

 

 

2世3世も、1世にない苦労はあると思いますよ。

要は、政治家としていい仕事をしてくれればいいんです。

 

 

 

 

 

 

私はいらない子だった

私の兄弟

私の兄弟は、姉2人と弟と私の4人です。

もう一人姉がいたのですが、亡くなっています。

 

 

 

 

私は男に生まれる予定だったらしい

女の子が4人続いたものですから、田舎の農家なのでとにかく跡取りの男の子が欲しいだったらしいです。

あまりに女の子が続くので、私が母のお腹にいるときに占い師に聞きに行ったようです。

そうすると、「丸々と太った男の子です」と言われ、大喜びで帰って家族みんなで楽しみにしていたようです。

いざ生まれたら私でしたので、一番待ち望んでいた祖父の落胆ぶりはそれはそれは大変なものだったようです。

後々事あるごとに私は、生まれたらついていなかったと言われ続けました。

 

 

 

 

念願の弟が生まれました

そして、2年後には母はまた妊娠します。

今度は、また女の子だろうからと誰も期待をしていなかったのに弟が生まれたのです。

だから、祖父の喜びようはそれはそれはすごかったようです。

その後は、母が後々まで言っていたのが祖父が、弟の面倒をほとんど見ていてくれいたといいます。

私は、全く覚えていませんが、授業参観にまで行っていたといいます。

ただ、弟は周囲の子達は授業参観に来るのはほとんどがお母さんなのに、自分だけは祖父だったのが不満だったようです。

 

 

 

 

女の子なんて金食い虫

祖父にしてみれば、跡取りの弟だけがいればいいということだったのでしょう。

女の子なんて金がかかるだけですから。

実家の方では、女の子を嫁に出すとなると相当のお金がかかるので、しかも4人もいます。

ドケチな祖父にしてみれば、金食い虫だらけだったのでしょう。

 

 

 

 

可愛くない孫の私

その中でも私は、ちっとも言うことを聞かないし、しかも他の孫たちは逆らわないのに私だけはもろ逆らってくるので、気に入らないったらなかったと思います。

今でも、他の兄弟たちに聞くと「じいちゃんは怒ると、目が三角になって蛇に睨まれた蛙みたいに逆らえなかった」と言いますが、私は祖父が怖いと思ったことはなかったのです。

まぁ、私と2つ違いの弟への可愛がり方の差が激しかったので、わたしの中ではそういう形で反発をしたんだと思います。

弟にお菓子を一袋を渡すと、私にはその中から一つまみだけでしたし、弟と遊んでいると弟にはこぼれんばかりの笑顔で、私にはフンっていう感じでした。

 

 

 

 

祖父が大っ嫌い

だから、私は祖父が大っ嫌いでした。

中学生の頃は、大好きな食べ物が大皿にのっていても、祖父が取った後は絶対に取りませんでした。

祖父だけでなく、あからさまには口に出さないだけで家の大人たちの雰囲気は、子供心にも私はいらない子なんだろうなぁということを、感じ取っていたと思います。

そんな中でも母だけは、差別は少なかったと思います。

母の持論では、どんな子であれ生まれた子はすべてちゃんと可愛がらなければいけないという考えだったんだと思います。

家の大人がそういう風だと、親戚近所皆同じ扱いになるんですよね。

 

 

私も子供ができて、他のお母さん方が兄弟でも可愛いこと可愛くない子がいるというのを聞くと、とっても悲しくなりました。

小さい頃の自分を思い出しました。

 

 

……

 

政治を考えてみる

昨日の安倍政権の支持率が低くなった原因を2つほどあげたけれど、稲田元防衛大臣のことも大きく影響しているでしょうね。

 

 

 

 

政治は駆け引き

昨日も書きましたが、朴大統領や韓国人の国民性を知って、そして中国等の事がこんなことになっていたんだぁ……驚くことだらけでした。

それから、安倍さんの中国韓国の対応のうまさを知って、安倍さん支持になりました。

日本第一党などの考えなどをネットで読むと、その通りだとは思いますが、政治の世界って生意気言うようだけど、「韓国が嘘やでたらめをを言って日本に必要もない金をせびるから断交だ」というようなことを言っても、実際今の世界でそんなこともできるはずもなく、できるだけかかわらない方向でというのならわかるけれど、極端なこともできないので、やっぱり駆け引きですよね。

それが実にうまいですね、安倍さんは。

あまり何もしていないように見えて、裏でけっこうやっていらっしゃるようで……

国のトップはそれくらいがちょうど良いと思います。

そんなことで、政治に興味を持つようになりました。

 

 

 

 

時々客観性のあるものは扱いたい

ただ、自分でも思うけれど、マスコミが嫌いだからって、せいぜいネットのニュースを見るくらいで、後は、自分と同じ考えの人のブログを読んでいる状態なので、あまり客観的な情報の集め方ではないので、ここで時々、こういう話題を入れるときもあるかもしれませんが、自分でこれなら客観性を保てて大丈夫というものだけを出したいと、思っています。

 

 

 

 

福沢諭吉の言葉

福沢諭吉も、志那朝鮮は、最低限の付き合いにせよと言っているとのことですが、そんなこと今頃公表されてもなぁ、と思います。

福沢諭吉と言えば、天は人の上に人をつくらずということしか知りませんでしたが、中韓のことも言っていたのなら、早いうちに出してくれていたらなぁ……と思います。

 

 

 

 

日本人には理解ができない韓国人

それにしても、韓国というのはわかればわかるほど、日本人には理解ができない国民だと思います。

証拠もないのに、あるあるといいながら一度も証拠を出さず、世界中に日本の慰安婦の強制連行があったと世界中に広めているという現実。

嘘をついてはいけないと教え込まれた日本人には、とてもできないことだと思います。

 

 

ある意味すごいことだと思います。

 

 

 

 

 

安倍政権の支持率の数字信用できる?

安倍政権の支持率が落ちているそうです

安倍政権の支持率が落ちていて、いまにも政権交代になりそうな報道になっています。

この報道信じられますか?

 

 

 

 

我が家にもテレビ局からアンケートが来ました

民主党が与党になるときの選挙の時に、フジテレビからアンケートの電話がありました。

内心「おお!これがアンケートか、本当にアンケートをとるんだ」とワクワクしていたら、ガイダンスが「40代以下の方に限ります」と言われ、がっかりしたのですが、その後、フジテレビでアンケート結果を発表していたのですが、年代別の結果を出していましたが、50代、60代の結果も出していました。

「あれれれ、40代以下のやつとは違うのかい?」一人でテレビに突っ込みを入れてしまいました。

でも、50代以降は集計をとっていません、なんて言いませんでした。

やっぱり、マスコミだよなぁ、期待した私がばかだったんだよなぁ……と、自分で自分に言い聞かせました。

 

 

 

 

 

なぜ支持率が落ちたのでしょう

たぶん、支持率が落ちたことは本当だと思います。

ただ、あんなに急に落ちるのがおかしい気がします。

数字が違うのではないかと、勝手に思っています。

マスコミの努力の結果、森友、加計問題が原因で落ちたのもあると思います。

小池都知事が、自民党から抜けたことも影響しているかもしれません。

 

 

 

 

 

政治に興味を持ち始めたわけ

私が、最近の政治に興味を持ち始めたのは、韓国の元朴大統領が「日本が歴史を正しく直視し、責任をとる姿勢を持たなければならない」と言ったことが発端です。

何で?と思われるかもしれませんが、私の中では、国を代表する大統領ともあろう人が、こんな後ろ向きなことを言っていいのか?しかも、70年も前の話をいまだ引きずってこんなことを言っていいのかと思ったのです。

こんなバカなことを言って、国民はどう思っているのか、恥ずかしくないのかと思ったのです。

もし、日本の総理大臣がそんなことを世界に向かっていったら、日本人はがっかりして相当たたかれるだろうと思います。

 

 

 

 

事実を調べてみました

それから、ネットで調べまくりました。

それまでの私は、自虐史観の教育のおかげで日本軍は韓国人慰安婦を強制連行をしていたのだから、日本はそれ相当の謝罪とお金の支払いは仕方のないことだ思っていました。

調べた結果、実際は強制連行はほとんどなく、日本軍から委託された韓国人が軍用の売春婦を募集をして集めたものだったようでした。

でも、アメリカからの圧力もあり、日本は韓国に対して謝罪をしていたようです。

 

 

 

 

韓国人は日本人と全く違う考え方をする

そして、韓国人は日本人と全く考え方が違い、朴元大統領の後ろ向きの言うことに大賛成で、そういうことを言えば言うほど支持をされるということがわかりました。

「この国は何なの?」私はびっくりでした。

こんな後ろ向きなことを子どもにも教えるの?

しかも、慰安婦のことを子どもにどうやって教えるの?

韓国の言うとおりの人数の売春婦を日本の軍人さんが相手をしていたら、軍人さんは戦争をする体力がありませんと、言う専門家もいました。

 

 

私の中では、?????がいっぱいでした。

そこから、私の?に関係する色んなブログなどを読みました。

 

 

 

 

 

子どもの頃、沢山の野菜果物を食べました。

昔の肥料は、人糞だった

幼い頃の実家では、良い思い出はほとんどないけれど、野菜や果物は美味しかったと思います。

北陸の農家で生まれ育たちました。

たぶん肥料も買うこともなく、人糞だったと思います。

人糞を運ぶのを祖父に手伝わされた思い出があります。

 

 

 

 

母の畑で野菜を食べた

祖父が畑をやらなくなってからは、母がやっていたと思います。

母の時は、人糞を運ぶ手伝いをした思い出がないのであまりわかりませんが。

母は、よく畑に私を連れて行って、ここで食べなさいと野菜を私に渡してくれた思い出があります。

たぶん、祖父が異常なほどのケチだったので、家で個人的に私に食べなさいと渡すと祖父に叱られるので、祖父のいない畑で食べさせてくれたのだと思います。

美味しかったです。

 

 

 

 

庭には柿の木がたわわに実をつけていました

秋になると、庭にある柿の木にたわわに実がなり、毎日自分で柿の木に登って食べたいだけ食べていました。

庭には、甘柿の木と渋柿の木が各1本づつありました。

甘柿の場合はそのまま皮も剥かず、かじっていました。

かなり野生児でした。

渋柿は、ちょっとかじってまだ早いなと思ったら、田んぼに藁の束を積み重ねてあるのがいくつも所どころにあるので、そこに押し込んでそれを覚えておいて食べごろだと思ったら、出してかじってみるのですが、甘ければそのまま食べますが、まだしぶければ、また同じ場所に突っ込んでおきます。

それも楽しみの一つでした。

 

 

 

 

イチジクも沢山の実をつけました

イチジクもありました。

庭の前に田んぼがあって、その田んぼの先にイチジクの木がありました。

あまり大きくない木でしたが、実はたわわになっていました。

毎日、学校から帰るとバケツを持ってきてバケツに入れるのです。

毎日バケツにいっぱいとれていました。

それを家族の人数に分けてから、自分の分を食べていました。

柿もイチジクもそれに関しては、ケチの祖父は何も言いませんでした。

それらは家族全員に分ければ、自由に食べられました。

今みたいに売ることができたら、食べさせてはくれなかったと思います。

 

 

 

 

大人になりました

それから学校を卒業して、実家を出て大人になってお店を見ると柿もイチジクも売っていました。

柿もイチジクも大好きだから食べたいのに、私の中では、柿もイチジクもお金を払って食べるものではないという感覚がとれず、こういうものにお金を払うのは、ついもったいないと思ってしまい、長い間毎年秋は「食べたいでももったいない」の葛藤の日が続いていました。

 

 

今ですか?今は毎年お金を払って食べています。

都会人になったのかな?